鬼平犯科帳 がっかりする話3 瓶割り小僧
2024-08-29


まず、捨て五郎が五兵衛を見つける場面だが、最初どの程度の距離があったかは書かれていないが、本所弥勒寺まえの茶店にいるのだから、けっこうにぎやかだったはずである。そして、五兵衛は頭巾をかぶっており、「両〓から顎のあたりまで隠れていた」状態だった。捨て五郎は、五兵衛に以前仕事を斡旋されてあったことがあるが、「一目で嫌気がさした」というのだから、そのとき一度あっただけに違いない。にもかかわらずこの場面で、「一瞬の間に見破った」のは、いかに「捨て五郎の眼力」が優れていても、かなり不自然ではなかろうか。しかも、すぐに捨て五郎は、五兵衛のことを彦十に告げて、店の奥にいってしまうのである。
 そして、すぐに彦十は追跡して、宿屋をつきとめ、五兵衛は、翌日捕縛される。
 いかに江戸時代とはいえ、五兵衛は「江戸ではまったく盗みをしたことがない」のだし、捕まったときに、現行犯でもないのだから、なんら証拠がないわけである。いくら火盗改めとはいえ、誰であるかもまったくわかっていない人物を、拷問まで含めた取り調べをするだろうか。彼が盗賊であることは、まったく確証がないのである。あるのは捨て五郎の証言だけだ。捨て五郎に面通しをさせているわけでもないようだから、ほんの一瞬のため、見間違えの可能性だってある。しかし、そういうことは、ここでは露考えられていない。
 次に、何故五兵衛は、2、3年に一度江戸にやってくるのか。生れ故郷といっても、義父に虐待され、最後は義父を殺害して、逃亡した場所である。母親がいきていて会いに来るということも考えられるが、殺人犯なのだから、近所の者に通報される恐れがある。しかも、江戸には「鬼の平蔵」が活動しているのである。通常は、そんな江戸には絶対にいかないのではないだろうか。しかも、堂々と宿に泊まっているのである。ここに不自然さを感じてしまう。
 もちろん、このふたつの要素がなければ、この物語は成立しないのだから、不可欠なのだろう。だがもう少し自然さがほしい。
 五兵衛の義父殺しについては、五兵衛の白状によって、平蔵たちは知ったことになっているのだが、平蔵は、瓶割りの事件以後も、切りつけようとした赤松と交流しているのだから、義父殺しについて聞いているはずである。義父とはいえ親殺しであり、通常の殺人より重罪である。逆にいえば、五兵衛が自白したことも不自然にみえてくる。江戸以外では盗みの罪は、捨て五郎の進言で言い逃れできないとしても、まさか、捨て五郎が、この殺人まで知っているはずもないのだから、わざわざ罪を重くするようなことはいわないだろう。
 盗賊が裁かれたときには、多くが具体的な処分について触れられているが、この場合は、明日から小林がより詳細に尋問するという、途中経過で終っている。なんとなく物足りない感もあるが、獄門は明白なのでぼかしたのだろう。

 このように、私には不満なところが多いのだが、作者はなぜ、これを優れた5本に含めたのだろうか。
 考えられるのは、自白を引きだす機微がうまくできているし、平蔵の人間理解が滲み出ているのだが、構成の巧みさなのかと考えられる。最初に紹介した粗筋は、時系列に組み直してあるが、原作では、場面がこまぎれに転換していく。
 小林金弥のうまくいかない尋問の様子→別室でみている平蔵が記憶を呼び起こしている→うまくいかない翌日再び小林による尋問→5日前の捨て五郎による五兵衛発見の場面→翌日捨て五郎の進言で逮捕→尋問の場面で、戻る途中で小者が茶わんをわることで思い出す
 ここまでが(一)で(二)は20年前の瓶割りの場面が語られる。(三)も引き続き瓶割りの場面だが、途中で音松の家庭の事情が説明される。そして、赤松が音松をおそい、平蔵が助ける場面。(四)が平蔵による尋問で、五兵衛が自白、夕餉のやりとり、という展開である。

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