2024-02-14
.小沢征爾が亡くなった
小沢征爾氏(以下むしろ敬意をこめて、敬称を略す)が亡くなったというニュースが流れた。大分前から癌を患い、演奏活動は激減していたから、いずれこういう日がくることは、大方予想されていたが、いざとなると、やはり、戦後日本の音楽の歴史が変わっていくだろうと思わせる。
私自身は、指揮者としての小沢征爾のファンではなかったし、むしろ批判的な感情をもっていたが、ただ、実演に接したときには、いずれも非常に感心した。ただ、感動したというのではないのだ。そこが微妙なところだろう。
小沢征爾の実演を聴いたのは、あまり多くない。
最初は二期会の公演によるムソルグスキー「ボリスゴドノフ」だった。それから、近所の音楽ホールにきたときに、新日フィルでモーツァルトのディベルティメント、プロコフィエフのピアノ協奏曲3番、そして、ベートーヴェンの7番の交響曲というプロで聴いた。
サイトウキネン音楽祭で、ベートーベンの運命ともう一曲(忘れてしまった)、バッハ「ロ短調組曲」、ベルリオーズ「ファウストの拷罰」をゲネプロと本番を聴く機会があった。本番はこれだけだ。CDもボックスを二組(フィリップスとEMI)をもっているだけで、個別には数枚もっているだけだ。
さて、感心したが、感動はしなかったというのは、小沢を聴いたあと、ほとんどの場合感じる印象なのだ。
始めて小沢を聴いた二期会のボリスゴドノフだが、当時はまだ原典版ではなく、リムスキー・コルサコフ版だったのだが、小沢は始めてこのオペラを振るということだった。しかし、すべて暗譜だった。指揮台にはまったくスコアが置いてなかった。この複雑なオペラを初めて振るのに、暗譜というのは、正直驚いた。だいたいオペラを暗譜で振る人は、ごくごく少ない。カラヤン、アバド、クライバーのような特別な人だけだろう。小沢は、オペラはあまり振ったことがないにもかかわらず、だ。
指揮ぶりは非常にダイナミックでその指示ぶりは、見ていてもよくわかるものだった。いまでも国境の酒場の場面は、覚えている。
モーツァルトのディベルティメントは、第一楽章の細かいニュアンスがついた演奏にびっくりした。ほとんどの演奏は、あのような繊細な表情がついていない。これが斎藤秀雄の教えなのだろう。この曲をこんな風に味付けできるのかと感心したものだ。上記のなかで、最も感動したというのに近いのは、ファウストの拷罰だろう。ただ、これも、オーケストラのうまさに感心した部分が強い。
小沢の演奏を聴くと、どうしても指揮のうまさに感心してしまい、音楽そのものが迫ってくるものをあまり感じないのだ。小沢征爾の勉強家ぶりは有名だ。毎日朝早く起きて、数時間はかならずスコアの勉強をするという。
小沢が始めてウィーン・フィルの定期演奏会に呼ばれたとき、メインの「春の祭典」のある部分を指定して「ここから始めましょう」といったのだそうだ。そして、あのウィーン・フィルの団員が苦笑いをして、小沢の下調べの完璧さに驚いたというのだ。というのは、その少し前に、マゼール指揮で録音したのだが、そこが一番うまくいかなかった箇所だったからだ。つまり、オーケストラの特性、力量をちゃんと調べてきたということを団員たちが、たちどころに理解したわけだ。そして、その後も小沢に対するウィーン・フィルの信頼は強いものがあったという。
ただ、このように感心はするのだが、演奏そのものが、ぐっと胸に迫ってくる、という体験が、小沢に関してはほとんどないのだ。トスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルターなどの巨匠はもちろん、カラヤン、アバド、バーンスタイン、ベームなどの名演奏は、単なる感心ではない、感動をもって迫ってくるものがある。もちろん、いつもではないのだが。
だが、小沢の演奏は、もしかしたらうますぎるのかも知れない。日本人の演奏家としては、五嶋みどりのほうが、ずっと心に迫るものを感じる。
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