有名な道徳教材であり、私が学生の教育実習の研究授業で何度かみたものでもある。子どもたちも活発に意見をいえる一方、教師がどのようにまとめるのか、子どもたちの発達段階との兼ね合いで、けっこう難しい教材でもある。
小学校で行われた研究授業で出た意見と、実際に大学生に概要を話してだしてもらった意見とは、かなりの隔たりがあった。コールバーグ理論のある意味、よい検証の材料にもなる教材である。
まずテキストを確認しておこう。(次の文章は、大阪府のホームページで公表されている資料から転記した。
[URL] )
手品師
あるところに、うではいいのですが、あまり売れない手品師がいました。もちろん、くらしむきは楽ではなく、その日のパンを買うのも、やっとというありさまでした。
「大きな劇場で、はなやかに手品をやりたいなあ。」
いつもそう思うのですが、今のかれにとっては、それは、ゆめでしかありません。それでも手品師は、いつかは大劇場のステージに立てる日の来るのを願って、うでをみがいていました。
ある日のこと、手品師が町を歩いていますと、小さな男の子が、しょんぼりと道にしゃがみこんでいるのに出会いました。
「どうしたんだい。」
手品師は、思わず声をかけました。男の子は、さびしそうな顔で、おとうさんが死んだあと、おかあさんが、働きに出て、ずっと帰ってこないのだと答えました。
「そうかい。それはかわいそうに。それじゃおじさんが、おもしろいものを見せてあげよう。だから、元気を出すんだよ。」
と言って、手品師は、ぼうしの中から色とりどりの美しい花を取り出したり、さらに、ハンカチの中から白いハトを飛び立たせたりしました。男の子の顔は、明るさを取りもどし、すっかり元気になりました。
「おじさん、あしたも来てくれる?」
男の子は、大きな目を輝かせて言いました。
「ああ、来るともさ。」
手品師が答えました。
「きっとだね。きっと、来てくれるね。」
「きっとさ。きっと来るよ。」
どうせ、ひまなのからだ、あしたも来てやろう。手品師は、そんな気持ちでした。
その日の夜、少しはなれた町に住む仲のよい友人から、手品師に電話がかかってきました。
「おい、いい話があるんだ。今夜すぐ、そっちをたって、僕の家に来い。」
「いったい、急に、どうしたと言うんだ。」
「どうしたもこうしたもない。大劇場に出られるチャンスだぞ。」
「えっ、大劇場に?」
「そうとも、二度とないチャンスだ。これをのがしたら、もうチャンスは来ないかもしれないぞ。」
「もうすこし、くわしく話してくれないか。」
友人の話によると、今、ひょうばんのマジック・ショウに出演している手品師が急病でたおれ、手術をしなければならなくなったため、その人のかわりをさがしているのだというのです。
「そこで、ぼくは、きみをすいせんしたというわけさ。」
「あのう、一日のばすわけにはいかないのかい。」
「それはだめだ。手術は今夜なんだ。明日のステージにあなをあけるわけにはいかない。」
「そうか・・・・・・。」
手品師の頭の中では、大劇場のはなやかなステージに、スポットライトを浴びて立つ自分のすがたと、さっき遭った男の子の顔が、かわるがわる、浮かんでは消え、消えてはうかんでいました。
(このチャンスをのがしたら、もう二度と大劇場のステージに立てないかもしれない。しかし、あしたは、あの男の子が、ぼくを待っている。)
手品師はまよいに、まよっていました。
「いいね。そっちを今夜たてば、明日の朝には、こっちに着く。待ってくるよ。」
友人は、もうすっかり決めこんでいるようです。手品師は、受話器を持ちかえると、きっぱりと言いました。
「せっかくだけど、あしたは行けない。」
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