2024-05-17
もし、日本も上級学校による選抜試験を廃止して、学校での成績を主に判断される進学制度に切り換えれば、子どもたちは、しっかりと学校での勉強に取り組むようになるはずである。そうすれば、教師も教えがいがでてくるし、相乗効果で意欲的な若者が育っていくに違いない。
しかし、そんなことをしたら、必ず一部人気大学、高校に集中するだろう、そうしたら収拾がつかなくなる、という反論が出てくるに違いない。
まず、現在でも、かつての難関校も、それほど魅力をもち、多くの受験生が詰めかけている状況ではなく、入れるならそこでなくてもいい、という気持の高校生も多くなっているのである。そして、そうした平均化を促進することも大切なのである。欧米の国立・公立大学は、それほどの格差はなく、トップ校といわれる私立の大学は、一部である。しかし、ハーバードでも、日本のような入試があるわけではない。学校が、ピラミッド型の一流、二、三流などにわかれているよりは、そうした上下よりは、強い領域などで個性を出しているほうが、国全体としての教育効果は高いのである。そして、どうしても偏ってしまう場合の対処はいくつかある。
ひとつは、領域で選択させ、第三志望くらいまでを提出させて、希望が多い場合には、なんらかの選考をする。たとえば、地域の考慮等。
あるいは、大学進学の資格試験を実施し、(現在の共通テストをそうする)進学最低規準を設定するとともに、大学として、自分の学科に進学するためには、これこれの科目を何点以上とること、というような条件を設定することを可能にする。その場合でも、複数の希望を条件にすることで、特定大学に集中して、定員の何倍をも受け入れざるをえないということは回避できるだろう。
そんな複数志望制などにしたら、東京都の群制度の失敗を繰り返すという危惧があるかも知れないが、私立大学も、そうした一環に組み入れることで、その危惧はなくなる。東京都は、都立高校だけでそうしたから、私立高校に地位を奪われてしまったのである。
日本の学校教育の最も大きな問題は、学校の勉強をすることで、勉強好きになるような子どもが極めて少ない、ほとんどいないということなのだ。しかし、教師がいくら努力しても、小学校時代から、既に受験の浪が押し寄せているのだから、教師の努力によって克服できる状況ではないのである。制度を変えねばならない。(つづく)
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